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1999年から始まった HIRO YANAGIMACHI の靴づくり。日々、足と靴に向き合いながら、お客様の靴を一足一足、手でつくり続けてきました。ここではHIRO YANAGIMACHI の創業からの歩みをご紹介いたします。
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大学で工業デザインを学んだ柳町は、工業デザイナーとして家電製品のデザイン開発を手掛けるも、自身のデザイン観やものづくりの理念を追求するため渡英。靴の魅力と革という素材に惹かれ、London Cordwainers Collegeにおいてシューメイキングを学ぶ。在学中はJohn Lobb などでビスポークの技術、文化にも触れ、その深みを知る。
帰国後、フットウェアデザイナーとして活動を開始するが、デザインや靴づくりの環境への失望から、既存の枠を越えた新しい活動のスタイル、場を模索し始める。
靴のセレクトショップの草分け的存在である World Footwear Gallery 神宮前本店内において「Works on the knees」を設立、自らのブランド「HIRO YANAGIMACHI」を発表。店舗の中にワークショップを併設し、つくり手と靴づくりの工程の見えるオープンスタイルとして、また、当時としては珍しいフルハンドメイドのブランドとして注目を集める。
デザインはレースアップ8型、素材は数種類のみからのスタートであったが、その後、他のデザインも時間をかけながらも準備。クラッシックの範疇にとどまらず、斬新なデザインも意欲的に創作し発表する。また、オーダースタイルもモディファイドオーダー、フルスクラッチオーダーと順次サービスを広げ、ビスポークシューメーカーへの歩みを進める。
八田明日香が中心となって、HIRO YANAGIMACHI オリジナルのシューバッグを制作、発表する。従来の巾着タイプとは一線を画したそのデザインやディテールは、シューバッグを靴の付属品から単体での商品へとその価値を高め、話題となる。
次なる靴づくりに挑むため、8年間に及んだ World Footwear Gallery とのコラボレーションに区切りを付け、ワークショップを神宮前から、現在の場である千駄ヶ谷に移転。名前を「HIRO YANAGIMACHI Workshop」とし、新たなスタートを切る。
HIRO YANAGIMACHI のモンクストラップに使われるバックルの制作者でもある、金工作家の吉村修二氏とのコラボレーションによるポータブルシューホーンを制作、発表する。
ビスポークのみならず、靴文化の発展に寄与できる後進の指導、育成を目的として、職人養成のためのトレーニングプログラム「HIRO YANAGIMACHI Training Program for Bespoke Shoemaker」を開始
既成靴用のラストメーカー「ヒカリ」の協力を得て、個々のビスポーク・ラストを完全ベースとしたヒンジ・ワンピースタイプのオリジナルシューツリー制作サービスを開始。
1999年10月に HIRO YANAGIMACHI のブランドを設立し、実質的なスタートとなる2000年2月の受注開始から数えて10周年を迎えるのを記念し、「10th Anniversary」を開催。
早乙女啓介を制作者とし、パターンオーダー、ハンディクラフトなものづくりで、靴とのコーディネートを可能とさせるレザーベルトを発表。ベルトのバックルは、モンクストラップのバックル、シューホーン同様、金工作家の吉村修二氏の制作によるものである。